罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
ローマの信徒への手紙5章21節
死は不意にやって来て、命を奪う。死は人間にとって不条理であり、敵である。人間は自分の死が必ず来ることは知っているが、そのことを考えることは耐えられないので、忌み避けようとする。私たちが死について恐れなく語れるようになるのは、「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです」(ローマ4:25)というイエス・キリストの福音による。
神の御子イエスは、罪のために神の裁きの死を免れられない私たちに代わって十字架にかかり、命を捨てて父なる神に執り成しをされた。その御子を神は死から復活させ、私たちの罪を赦して永遠の命に導く救い主とされたのである。今日の聖句は、主イエスを信じる者は罪による死の支配から解放され、復活の主と結ばれて、神の恵みに支配され、永遠の命の御国に導かれることを語る。信仰によって主の贖いの恵みにあずかり、主と結ばれて生きる者には、死はもはや不条理でも滅びでもない。私たちを捉えて下さった主の御手は永遠であり、死によって断ち切られることはないからである。
聖書は死を「眠り」と語るが、眠るように大自然の中に溶け込んでゆくことではない。永遠の朝に目覚めるのである。その時、古い罪の体を脱いで復活の体を着せられ、神の国に迎えられる。「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(ヨハネ14:3)。
著者:内藤淳一郎 (1999年〜2014年 当教会主任牧師)
2020年にクリスチャンプレスに掲載されたご本人のインタビューを下記のリンクよりお読みいただけます。 https://christianpress.jp/naitou-junichiro/
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この朗読は『一日の発見 365日の黙想』の著者、内藤淳一郎氏の許可を得て、日本バプテスト連盟西川口キリスト教会が作成し毎日発信しております。