わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。(コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章7節)
私たちは会堂建築を通して示された主の恵みのみ業を喜び祝い、心は晴れやかです。しかし、これで仕事は終わったのではありません。会堂はやがて寿命が来る「土の器」です。しかし、21世紀に向かう西川口教会が「福音の喜びを発信してゆく」ために必要な器です。大切に、そして十分に用いましょう。
パウロは冒頭の言葉で、私たちは「土の器」であると言います。しかし、それは福音という「宝」を納めている器です。私たちはもろくて、弱い「土の器」ですが、神はこのような者を召して、福音宣教のために用いてくださるのです。教会のすべての業が聖霊の働かれる場となるために、私どもに何よりも祈りを求められます。
「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」(マタイ21:13)。
「求めなさい。・・・天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ11:9−13)。;;”316″