このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。(ルカによる福音書21章28節)
「死後の世界」を信じる信仰の根拠。①私たちが信じている神の愛は、死によって無くなるような愛ではないという確信。「わたしは確信しています。死も、・・・他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマ8 :38)。②理性を超えた「死後の世界」の有無の判断は、賭けである。存在するほうに賭けて、それが存在しなかったとしても、何も損をしない(パスカル)。③旧約聖書の出来事も、新約聖書が語るイエス・キリストの出来事も、破局の中に救いを始める神の業を証言する。キリストの死と復活は過去の出来事ではなく、終りの中に未来をひらく神の救いの啓示である。キリストの終りと新しい始まりによって、たとえ世界に終りが来ても、新しい世界、神の国はすでに始まっている。日頃「平和」を唱えても、この世がすべてであると考えるなら、時代に流され、国を守るという錦の御旗のもとに暴力を肯定するであろう。世に流されない「平和」は、来るべき神の国を信じる信仰を土台とする。;;”380″