神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネによる福音書 9章3節)
イエス様は、御自身の十字架の死を半年後にひかえたその切迫した時に、通りすがりのひとりの人をご覧になって呼びかけられました。人々から社会の片隅に追いやられた小さな存在であるひとりの人を通して、「見えなかったものが見えるようになった」という全く新しい救いの出来事として、神の業を現わされました。
この人は、その身に神の業が現れたがゆえに尋問を受け、会堂から追放されるという苦しみに出会いました。そのことを通して「どうして自分が癒されたのか。いったい誰がこのことを起こしてくださったのか」というイエス様を見る目が開かれたのです。この人は、イエス様が為してくださった出来事を深く心に刻み、忘れることなくこの事実の上に立ち続けた者でした。自分自身の救いの出来事を起こして下さった方が、目の前にいるのにわからない自らの愚かさを知り、礼拝する者に変えられていったのです。私たちは、神の業がこの身に現れた者の集まりです。この証しを与えていただいた神ご自身にのみ依り頼む者の集まりです。
私たちは、この与えられた恵みの証しを携えて、「遣わされていく者」へと変えられていきたい。;;”238″