「わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。」(エゼキエル37章10節)
エゼキエルは神に命じられて、枯れた骨に向かって預言した。すると、神の霊が彼らの中に吹きこまれ、彼らは生き返り、自分の足で立った。死んでいた人間が復活した。
神によって生き返る「復活」とは、ただ死人が息を吹き返して、元の生活に戻ることではない。神の 霊が吹き込まれることによって、神との関係に生きるようになることである。その時、見える物だけを見て、これを頼り、これに左右されていた私たちが、神を拠り所として生きる者となり、「自分の足で立つ」ようになる。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(Ⅱコリント4:8−9)。神に愛されている「私」は、たとい死の川を渡る時も、神との交わりが絶たれることはないという復活の希望が与えられる。私たちを復活させる神の霊は、神の言葉が語られ、聞かれるところで、息吹く。;;”240″