行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。(ホセア書3章1節)
ホセアは、他の男に走り、あげくの果てに奴隷に転落した妻を愛せよ、と神に言われた。彼は苦しんだが、奴隷の値段である「銀十五シェケルと大麦一ホメル」を用意して、彼女を買い取った。彼は裏切った妻のために大きな犠牲を払わされた時、神に背くイスラエルの民のために、「ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。・・・わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる」(11:8)と叫ぶ神の愛を知った。
神の愛は、背く者のためにご自身の胸を焼かれる愛であり、これを買い戻す(あがなう)ために自ら大きな犠牲を払う愛である。この神の愛は御子キリストの十字架に極まっている。ホセアは妻と向き合う経験の中で、キリストの十字架に示される神の激しい愛と慈しみを語る預言者として召されたのである。;;”217″