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主日礼拝宣教要旨

2018年9月30日(日) 礼拝宣教要旨 「わたしの隣人とはだれですか」 ルカによる福音書10章36-37節

さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

                      ルカによる福音書10章36~37節

西川口キリスト教会 髙松 隆幸

 律法学者は、イエスに尋ねました。「わたしの隣人とはだれですか。」彼らユダヤ人が考える隣人とは、自分と同じ割礼を受けた同胞のみを念頭に置いているのでした。しかし、イエスがされたたとえ話の中では、傷ついた人・苦難の中にある人に、隣人として手を指し伸べたのは、かれらが軽蔑していたサマリア人でした。律法に忠実で教義を大切にしている律法学者やレビ人ではなかったのです。

 イエスは宣教活動を開始した最初に「悔い改めよ。天の国は近づいた。」と、言われました。罪の内にあるわたしたちが悔い改めて救いの道に導かれるよう、贖いの十字架に架かられ、黄泉の苦しみを味あわれ、三日目に復活され、わたしたちに永遠の命を示してくださいました。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネによる福音書3章17節)と聖書にあります。

 富める人より貧しい人に、健康な人より病んでいる人に、偏った正義による力から迫害を受けている人に、イエスは憐みと救いのみ業を通して、寄り添い、支え、公生涯を捧げました。そして、その眼は狭い範囲の同胞に向けられることに止まらず、すべての苦難にある人々に向けられていました。「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい。」(レビ記19章18節)。このことを身をもって実践されたのでした。

 直接自分にかかわりがないと思われることを「あっちの方の話。」として無関心を装うのではなく、すべて隣人にある話として、心からの悔い改めを以って、イエスの示される働きに従う者でありたいと思います。

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