「この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。」(コリントの信徒への手紙一 3章12節、13節a)
ここの段落は教会にとって何がもっとも重要であるかということを、目で見える建築物を通して書かれているところです。それでは、ここでいう「木、草、わらの家」とは何のことでしょうか、さらに「金、銀、宝石の家」とは何をさしているのでしょうか。ナゾ解きは17節に「あなたがたはその神殿なのです」とあるように、このことばは「私の信仰、私たちの教会の信仰」は何を素材として建てていくべきかということを語っているのです。いわゆるハコモノの話ではありません。
行きあたりばったりな間に合わせの信仰ではなく、火の中を潜り抜けた「金、銀、宝石」という素材、別の言葉でいえば「聖書と祈り」を素材とした、いつまでも変わらないそんな信仰を建てることを勧めているのです。事が起きたら燃え尽きてしまう、そんな信仰であってはならないのです。
この西川口教会は、奥田稔先生や菊地るみ子先生をはじめとして多くの牧師、伝道者を生み出してきましたが、そんな方々から「私は西川口教会の聖書研究祈祷会で鍛えられた」といううれしい言葉を聞くことがあります。教会としてこんな「褒めことば」を聞くに勝る喜びはありません。その意味でいえば、この西川口教会は「金、銀、宝石」を素材とした教会といえます。聖書と祈りを素材とした「火の中を潜り抜ける」ことのできる教会といえます。
そんなわけですから、わたしも現在仕えている東大阪教会では教会の力は「聖書と祈り」にあると確信して、主日礼拝と聖書研究祈祷会の充実に力を注いでおります。
(現会堂感謝礼拝 東大阪キリスト教会 井置利男牧師宣教要旨);;”230″