あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言える。(テサロニケの信徒への手紙Ⅰ3章8節)
パウロは、バプテスマを受けて間もないテサロニケの信徒たちが、サタンの誘惑によって、信仰を揺り動かされているのではないかと心配した。パウロは彼らの「信仰の様子」を知るために、テモテをテサロニケに派遣した。テモテが帰って来て、彼らが信仰と愛にしっかりと立っているという「うれしい知らせ」(原語は「福音」)を伝えた。パウロは「あなたがたの信仰によって励まされました」と言って、冒頭の言葉を書き送った。テサロニケの信徒たちが信仰に堅く立ち続けていることは、彼らに福音を伝え、彼らの魂を配慮する使徒パウロたちを励まし、生かすのである。
私たちの信仰は共同体の信仰であり、信仰は個人の救いに留まるのではない。主に結ばれている兄弟姉妹の信仰生活は、互いに影響しあって、教会の喜びとなり悲しみとなる。兄姉の誰かが、サタンの試みに負けて教会から引き離されるなら、他の兄姉は悲しむ。兄姉の誰かがサタンの試みに抗して、信仰に堅く立つなら、他の兄姉は励まされ、喜ぶ。特に、他の兄姉たちが信仰に堅く立つようにと祈り、努力している「牧会」の働きを担う者たちを励ますのである。牧会は、説教と共に、教会がキリストの体として形成されるために欠かせない大切な働きである。
教会のために奉仕し、努力する者は、この世にご自身の教会を建てる神の同労者である。神が私たちに聖霊を与えてくださるのは、私たちを神の同労者として生かしてくださるためである。
教会の牧会について言えば、それは牧師や、ある兄姉たちだけが担う一方的な働きではない。牧師も他の兄姉たちの祈りや支えが必要なように、すべての信徒が神の同労者であり、互いに祈り合い、支え合う相互牧会が求められる。私たちはイエス・キリストによって励まされ、慰められている者として、互いに信仰と愛に生きることを促されているのである。;;”249″