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2009年3月8日「生けるまことの神に」

「あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。」

(テサロニケの信徒への手紙一1章9、10節)

 テサロニケの人々がキリストの福音を聞いて受け入れたことは、驚くべきことであり、パウロはその事実の中に神の聖霊の働きを見た。冒頭の言葉は、福音を受け入れた人々が、神によって、どのような人間に創造されたかを語っている。

 第一に、人々は「偶像から離れて神に立ち帰」った。偶像は、必ずしも刻んだ像ではない。お金や名誉など、神でないものを神として頼る者は偶像を拝んでいるのである。聖書は「物言わぬ偶像」(Ⅰコリ12・2)と言う。これに対して、まことの神は物を言う神である。生けるまことの神は意志を持ち、感情をもって人に語り、働きかける。神は私たちの思い通りにならない。神は私たちと人格と人格との関係を持とうとされる。神に立ち帰る者は、神と向き合い、神の言葉を聞く者になる。

 第二に、福音を聞いて受け入れた者は、神に立ち帰っただけでなく、「生けるまことの神に仕える」神の民となった。神の民は、なによりも神を礼拝する者である。御前に出て、神を賛美し、御言葉を聞く礼拝は、神の民がなす第一の奉仕である(それゆえ、英語では、日曜日の礼拝をSunday Serviceと言う)。神の民は、礼拝で神の言葉と聖霊の恵みを受けて、神に仕える者として一週の生活の場へと遣わされる。

 第三に、福音を受け入れた者は、キリストが再び「天から来られるのを待ち望む」ようになる。世の終わりに、神はすべてを正しく裁かれるだろう。その時、誰が神の怒りから免れるであろう。しかし、感謝すべきかな、私たちの罪の贖いのために十字架で死に、神が死者の中から復活させたキリストが、「来るべき怒りからわたしたちを救ってくださる」。このキリストの福音を聞いて、神の怒りではなく、神の愛を知った者は、神に立ち帰り、神に仕え、この世の生を終える時、死の向こうに、神が用意してくださる「神の国」を待ち望むようになる。;;”257″

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