わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。(フィリピの信徒への手紙4章19節)
手紙の最後で、パウロは感謝しつつ、フィリピの信徒たちの贈りものの意味について語る。第一に、信徒たちはその贈り物によって、「わたしの働きに参加した」(15節)のである。教会は各々の賜物に従って、お金、時間、労力を捧げて伝道の働きに参加するのである。第二に、贈り物は神に捧げられる「香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえである」(18節)。
パウロが信徒たちの贈り物について語るのは、自分がもっともらいたいからではない。それによって、彼らの「益となる豊かな実」(17節)を望んでいるからである。「益となる実」とは、当時の経済用語で、金銭から生まれる利子のことである。神は、捧げものをご自分の働きに用いてくださるとともに、捧げる人に豊かな実を与え、必要をすべて満たしてくださる。
そのことを語るのが冒頭の聖句であるが、ここでパウロは、「わたしたちの神」と言わず、「わたしの神」と言っている。「わたしの神」とパウロが言うのは、「神は、捧げる人の必要をご存じであり、その必要をすべて満たしてくださる」とは、パウロ自身が体験している事実であり、信仰の証しであるからである。パウロはフィリピの信徒たちに、自分の全存在をかけて語っている。
神が「キリスト・イエスによって」必要を満たしてくださる「栄光の富」とは、経済的な富だけでなく、もっと大きい「霊的な富」が含まれる。それは、私たちの必要をご存じである神が共におられるという富である。私たちの必要をご存じであり、私たちを強めてくださる神がおられるから、私たちはどんな境遇に置かれても、強く生きられる。神との交わり、主イエス・キリストとの交わりがあるから、私たちは強く生きられる。「インマヌエル」(神がわれらと共にいます)。これこそが、神を信じ、神に仕える私たちに与えられる大きな恵みである。;;”267″