西川口キリスト教会 斎藤信一郎牧師
『愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。』ペトロの手紙一4章12 節
ペトロが手紙を書いた時、時代はクリスチャンにとって厳しい迫害が始まっていた時代でした。そこで彼は、かつて主イエスに「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカによる福音書22章32節)と教えられた通りに、試練の中にあった信徒たちを手紙によって励まします。
手紙の中でペトロはすべてのことをキリストを通して受け止めなおすように励まします。キリストも試練を受けて苦しまれたことを思い出すように。また、「火のような試練」と表現しながら、キリストが「あなたがたには世で苦難がある。」(ヨハネによる福音書16章33節」と語られたように、誰もが試練を避けられないことを自覚するようにと励まします。15節では「人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないように」と語っています。それはかつてペトロが命に代えても主イエスを守ってみせると誓いながら、実際には主イエスを見捨てて逃げてしまい、結果的に「人殺し(見殺し)」と「悪者(主イエスの弟子であることを三度も否定した者)」となってしまったことを意味します。また、ゲッセマネの園で兵士の耳を切り落としてしまったことは、他人の大切なものを奪うという点で「泥棒」と言えるのかも知れません。そのことで彼がどれだけ後悔したかが伺えます。
このように主イエスの期待を裏切り、過ちと様々な失敗を犯したペトロでしたが、徐々にキリストが受けて下さった苦しみの大きさを理解できるようになり、別の見方ができるようになったと告白します。そして、それは「キリストの苦しみにあずかる」、すなわち他者の苦しみに寄り添うために必要であったというのです。主イエスが復活した直後には、あらゆる自信を失い、神の愛を意味する「アガペーの愛」では到底愛せないと自覚していたペトロでした。しかしこの手紙の12節の冒頭で、ペトロは「愛する人たち」と語っています。これはアガペーの愛という意味の言葉です。そこにペトロの信仰の成長を見ます。受難週を迎えました。私たちのためにも十字架を背負われた主イエスのアガペーの愛を覚えつつ、共にキリストの愛に近づいて参りましょう。