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地域と共に歩む桜並木の教会

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2008年8月24日

 わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたに伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。(ヨハネの手紙一1章3節)

 弟子のヨハネたちが見、また聞いたことを、今、聖書を手にした私たちに伝えるのは、ヨハネたちのした交わりを同じようにもつためです。この交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。御父と御子イエス・キリストの交わりとは、神さまの愛による交わりです。どんなに違ったもの同士でも、わかり合い、関係を育てていく交わりです。その根っこには、ヨハネが実際に見、聞き、またふれた方、イエス様を通して、罪深い自分が「赦された」ことにあります。

 神さまが私たちと同じ姿となって来てくださったこと、そして、私たちの身代わりとなってくださったことで、神さまは愛を示されました。赦されるべきではない自分が赦されました。こうして「赦す」ことを知ったヨハネは、関係を育てるものが「赦す」ことであることを深く学びました。また、その逆に関係を壊すものが、「赦さない」ことであることも知りました。当時、自分の力で清廉潔白な生き方を目指す人たちがいました。一見、すばらしい生き方のように見えますが、この生き方をすることで逆に、そのようにできない人を差別したり見下したりするようになったのです。神様を愛していると言いながら、見て、ふれることのできる兄弟姉妹を愛さないというおかしなことになったのです。

 きれいに掃除することが神さまに喜ばれると思い込み、少しでも雑草が生えたら、すぐに刈り取ります。雑草が出たらすぐに刈り取ります。次第に雑草ばかり気になるようになります。きれいにすることはすばらしいことですが、それよりも愛の種を蒔いて、チューリップや花を育てた方が喜びは大きいのです。(マタイ12:43〜45)「互いに愛し合いなさい」という御言葉(御父とイエス)を中心とする交わりは、たとえ、そのときは無理に見えても、小さな愛の種が蒔かれて豊かに育つように、喜びが満ちあふれるようになるためです。;;”264″

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