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主日礼拝宣教要旨

2017年10月15日(日) 礼拝宣教要旨「私たちが望んでいないこと」 テサロニケの信徒への手紙一5章12-18節

西川口キリスト教会 斎藤信一郎 牧師

「だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。」 テサロニケの信徒への手紙一 5章15節

私が牧師就任式等に返信はがきや電報にいつも記すのが、テサロニケの信徒への手紙一 5章12-24節です。なぜならこの聖句には教会形成ならびに信徒の一致のために要となる内容が凝縮されているからです。

この書簡は西暦50年頃にパウロが手掛けた最初期の手紙と考えられています。第二回目の伝道旅行の際に初めてギリシャ半島に渡ります。そして迫害に遭いながらフィリピ、テサロニケ、アテネと旅し、コリントに滞在中に書いたとされています(使徒言行録17章)。ただし、出来たばかりの教会の群れ、しかも十分なキリスト教の知識を持たない群れは、指導者や信徒間において教理理解が食い違い、信徒間の衝突が起きていました。気になって派遣していたテモテの報告によってその実情を知り、書かれたのがこの書簡です。

教会内の混乱や信仰理解の食い違いは現代においても常に存在する課題です。パウロはその現実と向き合うように励まします。そして教会に対して互いに罪をあがなわれた者として共にキリストにあって神が喜ばれる共同体を作りなさいと励まします。これが簡単ではない現実を私たちは知っています。それにも関わらず、18節で「これこそ…神があなたがたに望んでおられることです。」とパウロは言い切ります。そして同18節「キリストにあって」すべてはキリストの憐みと助けなしには不可能だということです。

愛と平和を保つのが難しい時代です。大勢が恒常的に疲れています。経済危機があり、健康問題があり、将来不安もあり、思うようにいかないことだらけです。そのような現実だからこそ、教会が宣教するキリストの喜び、祈り、感謝は必要不可欠です。キリスト者とは生涯かかってもお返ししきれない罪をあがなわれた者たちです。その事実ゆえに、互いに傷を持ち、欠けだらけの者たちが励まし合い、協力して福音宣教する群れです。自己ファーストを主張する時代だからこそ問われ続ける今回の聖句ではないでしょうか。

 

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