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主日礼拝宣教要旨

2017年10月8日(日) 礼拝宣教要し 「ヨブの思い」 ヨブ記 19章25〜29節

飯能バプテスト教会 足立 和子 牧師

 

わたしは知っている わたしを贖う方は生きておられ ついには塵の上に立たれるであう。

ヨブ記19:25

 

ヨブは絶望の闇の中に迷い込み、呻きます。友人たちはヨブが罪を犯したからこそ、神様が罰を与えられていると責め立てます。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイ11:28-29)、そのイエス様の御言葉にやっとの思いで教会に来られた方があるとします。初めは共に嘆き悲しんでも、いつしかヨブの友人たちのように、神様をわたしの方が良く知っている、あなたはそこが間違っていると、自分の物差しで相手を責めていないでしょうか。慰めを遮り、共に祈らず、苦しみを倍加させてはいないでしょうか。

主のお返事はいつどのようにかはわかりません。けれど、正直になんでもお話ししていい。取り繕うことはない。緊張したり、おべっかを使ったり、うそをつかなくていい。ありのままの自分を見せる、そのことを神様は喜んでくださるのでしょう。無垢で信仰に生きるヨブ。とりみだしてはいるけれど、心の底から主に信頼しお委ねし叫んでいるヨブ。

わたしたちの人生にも様々なことが起こります。どうしてですかと叫びたくなることも起

こるでしょう。そんなとき神様に背を向けたり、心を閉ざしたりするのではなく、ヨブのように主を信頼し、心の中を包み隠さず、神様に呻き叫ぶことがわたしたちには許されています。そして待ちましょう。主は必ず愛を持って御手を差し伸べてくださいます。

 

 

 

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