齋藤 隆
子どもたち、主に結ばれているものとして両親に従いなさい。それは正しいことです。「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。
(エフェソの信徒への手紙6章1~2節)
わが国の国民的行事に「お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)」がある。先祖供養の夏の行事。私たちキリスト者は、仏教のこのような先祖供養・墓参りにどのように向き合うべきか?
モーセの十戒、その五戒に「父と母を敬え」がある。この「父と母」は、今生きておられる年老いた親だけではなく、すでに亡くなり天に召された先祖(父・母)も含まれ、私たちが敬うべき対象になっている(人格共同体)。が、なにゆえに父や母は敬い尊敬すべきなのか。苦労して子育てをしてくれた親に対し、その恩に報いるのは当然。これは一般的な常識である。しかし、聖書はさらに、子どもから尊敬に値する親自身の姿勢を要求している。
それは、父であり、母である者は子どもに対し、神の言葉を教え、伝えるがゆえに尊敬されるべきことを説く。すなわち、エフェソ6章4節「父親たち、(中略)。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」(口語訳:主の薫陶と訓戒とによって育てなさい。)こうして子どもたちは父と母を敬い、その教えに従うことにおいて、神を敬うことになる。これが父と母とを敬う積極的な理由付けとなる。(大野惠正先生 元活水女子大学教授 長崎)
さらに、亡くなられた先祖がこの地上を歩む子や孫たちに願っていることは、墓前に供物を調える以上に、今、日々、悔い改めつつ(悔い改めは神に近づくこと)、主なる神にしっかり結ばれた生活・礼拝をすることだ(ルカによる福音書16章19節以下「金持ちとラザロ」)とこの福音書は語る。私たちの先祖のこの執り成しの祈りに応えることこそ、親孝行であり、いわゆる「先祖供養」だ。賛美しつつ主のみ前に歩みましょう。