西川口キリスト教会 協力牧師 朴 思郁
「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エフェソ6:12)。
イギリスの作家、C.S.ルイスは、著書『悪魔の手紙』で「人間が悪魔について陥りやすい二つの誤謬がある。その一つは、悪魔の存在を信じないことであり、他はこれを信じて過度の、そして不健全な興味を覚えることである」と言います。ルイスのユーモアに富んだ慧眼は、使徒パウロの言葉を理解するために役立ちます。
使徒パウロのいう「わたしたちの戦い」に関する理解についてですが、その一つは、もっぱら「霊的な戦い」として受け止めている立場です。この世における「悪」の現象をすべて「悪魔のしわざ」として見なしているのです。しかしすべての「悪」を悪魔のせいにしてしまうと、実際「悪」を犯している「人間の悪」を見逃してしまうおそれがあります。もし男尊女卑や人種差別、奴隷制度のような「構造的な悪」によって「悪」が横行している場合、それらを単なる「霊的な戦い」と見なして祈るだけではなく、制度を改革しなければならないのです。
そして、もう一つは、「悪魔なんているわけがない」という立場から、世界で行われている種々の「悪」を、単に人間によるものと見なしていることです。つまり、この世における不義や不正のすべてが人間の自由意志によって行われるものであって、その背後にある「霊的実在」を認めないのです。言い換えれば、人間の判断と決定がすべてを左右するという人間の傲慢さの表れにほかならないのです。
私たちの「悪」の理解において最も重要なことは、どちらかに極端に偏らないということであると思われます。実際、この世にける「悪」というのは、人間による悪、構造的な悪、「悪の諸霊」による悪など、様々な次元で行われる「悪」を理解しなければならないのです。そういう意味で「わたしたちの戦い」というのは、単なる個々人の内面の事柄だけではなく、社会における不義、不公平な「構造的な悪」、そしてその背後で働きかける「悪魔」まで、念頭におかなければならないのです。