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主日礼拝宣教要旨

2017年5月7日(日) 礼拝宣教要旨 「礼拝を献げる」ヨハネの黙示録4:8b

西川口キリスト教会 大城戸 一彦

ヨハネの黙示録4:8b
彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」

 

神様は天にある開かれた門を示して、ヨハネに「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」と語りかけられ、ヨハネを天に引き上げられました。

そこでヨハネが目にした礼拝は、6つの翼と、身体の前、後ろ、外側、内側に知識を表す目が付いている天の使いが「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方」と、賛美に始まり、絶え間なく賛美し、そして賛美をもって終わる礼拝をささげている光景でした。

天上の礼拝は、神からの呼びかけに対して、賛美と信仰告白をもって応えているのでした。

わたしたちの今年度の教会標語は〝日々み言葉に聞き、信仰の成長と友のために執り成しを祈る時間を創出しよう〟という言葉が示され、その応答の一つとして「充実した礼拝」への奨めがうたわれています。

これを自分に向けられたものとして、どのように受け取って行けばよいのでしょうか。

そこには教会に集められた民としての、一人ひとりの礼拝への臨み方が問われているように思います。教会の中で、いつの間にか、どこまでが仲間かという線引きをしている自分に気が付くことがあります。イエス様からエクレシアとして呼び集められた自分なのに、いつの間にか、呼び集める立場に変わってしまっているのです。

わたしたちは「地域に開かれた教会」とのコンセプトをもって宣教してきました。まず、わたしたち自身が、バリアフリーの心を持った自分にならなければ、そして、イエス様に招かれている喜びを、困難な境遇にある方たちとともに分かち合う礼拝をささげていなければ、地域の方への呼びかけは、「愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル」(一コリ13:1)となってしまうのではないでしょうか。

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