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主日礼拝宣教要旨

2017年4月9日(日) 礼拝宣教要旨 「 イスカリオテのユダの選択 」ヨハネによる福音書第12章1~6節

西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師

「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。」6節

主イエスがエルサレムに入場する一日前の土曜日の出来事です。エルサレムから3kmほど離れたベタニア村で、主イエスと親しい関係にあったラザロとマルタとマリアの家で夕食会が弟子たちと共に持たれました。その時、マリアが当時の日雇い労働者の1年分の賃金に匹敵する高価な香油を惜しげもなくイエスの足に塗りました。主イエスが「死刑に処せられ、三日の後に復活する」と予告していたことを真剣に受け止め、自分にできる精一杯の葬りの用意をしようとするマリアに、主イエスが最大限の評価を与えます。

これとは対照的だったのが、十二弟子の一人でこの後主イエスをお金で売り渡すことになるイスカリオテのユダでした。ユダはマリアの行為を無駄遣いだと非難しますが、彼は日頃から預かっていた主イエス一行の資金を、無断で使い込んでいたことをマタイは明らかにしています。彼はマリアよりも何度も主イエスの死刑と復活を聞かされていた(マルコ8章31節~、9章31節~、10章33節~)にも関わらず、それを理解することができませんでした。そして、自分が原因で主イエスが死刑になることを知ったユダは、主イエスの復活の希望により頼むことなく、自らの命を絶ってしまいます。

ヨハネ福音書はユダとマリアの違いを比較対照できるように工夫しながら、主イエスとその預言の言葉を信仰によって受け止めることの大切さを語っています。大切なのは、主イエス・キリストの福音を信じ、復活の希望に生きることだと示されます。

イースターへ続く受難週を迎えました。主イエスが約束された、世の終わりに再び来て下さるという再臨の希望をマリアたちのように現実のこととして受け止めていきましょう。そして、その復活の希望に生きる時としていきましょう。

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