2017年2月5日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「カインとアベルの献げ物」創世記第4章1-7節
「アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。」4章4節前半
第4章はアダムとエバの二人の息子カインとアベル、そしてその子孫の物語に移ります。この章の中心テーマは礼拝です。神への正しい礼拝の仕方を理解したアベルと、間違った方向へ進んだカインが対照的に語られています。まず2節で兄のカインが父親と同じ「土を耕す」職に、アベルは(この箇所で初めて登場する)「羊を飼う」職に就いています。アベルはなぜこのような職に就いたのか考えることが今回の鍵になります。
次のような物語が背景にあったのではないかと想像します。カインとアベルは、罪を犯したために生きる希望を失っていた両親のために神が毛皮を造られた話を聞かされます。そしてその犠牲となった動物は羊であったこと。どれほど神が痛みを覚えながらその羊を手に掛けたのか。しかし、その行為を通して命の尊さ、またどれほど神が命を慈しまれ、死を悲しまれるかを知ったことを。そこでアベルは自分も神の愛と罪のあがないに応えて、自分たちに生きる希望を与えるために犠牲になった羊を大切に育て、その命をこの世に増やしていく職に就きます。やがて愛情を込めて羊を飼う中で、最も健康で愛おしく感じられた子羊を選び、神の愛に応えてそれを献げ、神に受け入れられるのです。
残念ながらカインは同じような信仰で神に献げ物をすることができませんでした。彼は両親たちが行う世界最初の礼拝を、ただ真似ていたに過ぎませんでした。しかも、彼は自分の人生や礼拝を喜ぶことができず、怒りに満ち、神の顔を避けて下を向く始末でした。そんなカインに神は彼の問題の核心を突く助言をします。顔を向けられないのは何故か、また罪が戸口まで来るように手招いているが、その誘惑に負けてそちらに行ってはならないと。罪に支配されるのではなく、罪を支配すべきだと。
神はやがて主イエス・キリストを通して人類に対しても同じ愛を示されました。今度は私たちが問われる番です。私たちはどちらの兄弟を模範に生きているでしょうか。私たちが礼拝に臨む態度は神に受け入れられる信仰かどうか再考させられます。