ようこそ西川口キリスト教会のホームページへ

地域と共に歩む桜並木の教会

教会員ページ
主日礼拝宣教要旨

2017年1月22日(日) 礼拝宣教要旨「神の裁きと聖なる預言」創世記第3章16-20節

2017年1月22日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎

主題)「神の裁きと聖なる預言」創世記第3章16-20節
「アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。」3章20節

罪を犯したアダムとエバに与えられた神の裁きはどのようなものだったのか、そこには愛と憐みに富んだ神の裁きが存在しました。まず、エバに対しては妊娠期間と出産時の苦しみの増大を宣告されます。エバは神が事前に警告しておられた「死」を軽んじ、結果的に自分ばかりでなく、夫アダムの命を危険にさらしました。それゆえ神は彼女に命の尊さと命を育むことの大変さを理解できる裁きを下されます。更に、神が定められた秩序を軽んじる時、愛と尊敬に基づいた人間関係が崩れ、人が人を支配するという関係が生じることを預言されます。
一方、アダムに対しては、世界の生き物と環境を正しく管理するように与えられていた責任を果たさず、その秩序を破ろうとしていた妻の行動を止めず、神の命令よりも妻の言葉に従い、この世界に死が入り込むことを防がなかった責任を問われました。そこで神は一から苦労して食糧を育て、努力して環境を整える裁きをアダムに下されます。彼らへの裁きは、神が愛情と命を込めて創造されたこの世界のあらゆる命を神のように犠牲を払って愛し、大切にすることを彼らに学ばせるものだったのです。
これらの裁きを通して、彼らは改めて神が創造された命の尊さを見つめ直すことになります。このことを端的に表現しているのが20節の言葉です。これまで親しみを込めて付けていた「女=イシャー」という妻の名前を、アダムは改めて「エバ=命」と名付けます。この世に死を招き入れてしまったアダムとエバでした。しかし、そんな彼らに神はこの世に新たな命を産み出す使命と希望を与えられたのです。ここに愛と憐みに富んだ神の裁きがあるのです。神は主イエス・キリストを通して、さらに神の愛と憐みを人類に明らかにして行かれるのです。この世のあらゆる命を大切にし、神の使命に生きる一週間にして行きましょう。

関連記事

PAGE TOP