2016年8月28日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎
主題)「命に通じる門と道」マタイによる福音書7章13-14節
「しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(14節)
主イエスは私たちに心を込めて「狭い門から入りなさい」と招いておられます。しかし、その狭い門は簡単には通れそうにないことが次の言葉からも分かります。「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い」(13節)。主イエスが全ての人に通って欲しいと願われる門と道がある一方で、これに反して多くの人は広い門を通り、広々とした道を進んで生きているというのです。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉もありますが、主イエスはどんなに大勢でそこを通ることができる広い道があったとしても、その行き着く先が滅び(地獄)だとすれば、是が非でももう一つの確かな門を通りなさいと言われます。
それではこの狭い門と道とはどのようなものなのでしょうか。前回の宣教を通して、門を通るには聖霊の助けが必要だということを学びました。私はこの狭い門とは『不思議の国のアリス』に出てくるようなとても小さくて狭い門を想像します。従って、それを見いだす者が少なく、たとえ見つけてもそこを通ることなどできないと分かるような門ではないかと想像します。それではどうすればそんな門を通って入ることができるのでしょうか。それはアリスが瓶の中の液体を飲んで体を小さくしたように、主イエス・キリストを救い主として信じてバプテスマを受ける時に聖霊を通して主イエスから与えられる命の水によって私たちは狭い門を通ることができるようにされるのだと思います。
そして、門を無事に通ることができると、次にとても細い道が続くと言うことです。その道は高い場所で綱渡りをするサーカスのピエロのように、とても難しい細い道ではないかと想像します。しかし、綱渡りも自分のバランスを保ってくれる棒を両手に持つことによって無事向こう側にたどり着くことができます。これと同じように、私たちは主イエスが与えて下さる十字架をしっかりと背負ってイエス様と共に歩む時に無事にゴールにたどり着くのです。「私は門である」、「私が道である」と言われる主イエスに信頼して、永遠の命に通じる門と道を歩みましょう。