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主日礼拝宣教要旨

2016年7月24日(日) 礼拝宣教要旨 宣教題「神、それとも金のために」マタイによる福音書6章24節

2016年7月24日(日) 礼拝宣教要旨 西川口キリスト教会 斎藤信一郎

主題)「神、それとも金のために」マタイによる福音書6章24節

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(24節)

主イエスが「二人の主人に仕えることはできない」と教えられた時、先頭に「だれも」という言葉を付けて言われました。この言葉が入るだけで意味は全然違って来ます。何故なら、この言葉が入るだけで、一切の例外はないという意味になるからです。それではどんなことで二人の主人に仕えることができないと主イエスは言われたのでしょうか。それは、神と富についてです。人間はそれぞれに神から使命を託されてこの地上に生まれて来たと言うのが聖書の立場です。神に仕えるとは、その使命を自覚し、神の教えに従って生きることを指します。富に仕える人とは、神から託されている使命を正しく自覚せずに、自分や家族、仲間や会社の利益になることをいつも求めて生きている人のことです。

あなたはどちらのタイプの人でしょうか。見分ける方法は簡単です。あなたの一週間ないし一日の時間の使い方を振り返って、神の使命を意識しながらそのために生きた時間と神の使命を忘れて、自分の興味あることに専念して生きていた時間のどちらが多いかを考え、より多くの時間を割いた方があなたの現状と言うことになります。睡眠時間は除いても構いません。もちろん、どんな仕事、家事や遊び、人との付き合い等も神を意識してすることができます。ですから、教会に行ったり、聖書を読んだり、祈ったりしている時間だけが神の使命を意識している時間ではありません。

神が求めておられるのは、常に神から与えられている人生の使命を意識しながら生きることです。神はあらゆる時に私たちが自分の使命を自覚し、絶えず聖書の教えを参考にし、祈りを通して神の御心を考え、正しい方向へ導かれながらこの世で生きていくことを願っておられます。そのために救い主イエス・キリストが模範を示して下さったのです。始めから上手にできないかも知れませんが、あなたもこのことを意識して生きる習慣を身に着けていくことができます。天国は神の使命に生きようとする人々が行くところです。あなたもその一員として招かれているのです。

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