2015年6月15日(日) 礼拝宣教 ジェフ・スコギンズ師(レイクビュー伝道チーム)
ルカ 9章57節「 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
「キリストに従う覚悟」(WARNING! FOLLOWING CHRIST WILL COST YOU EVERY THING!)
ルカによる福音書9章57~62節
これまでの経験から、私は人々にキリスト教の良い点だけでなく、少し厳しいところも明確に語ることの必要性を感じて参りました。そこでキリストに従う覚悟について聖書がどのように教えているのか、分かち合いたいと思います。今回の聖書箇所には3つのポイントがあります。
最初に従いたいと申し出た人に、主イエスは居心地の良い住まいを失う覚悟を求められました。次の人には家族を犠牲にする覚悟が必要だと述べ、三人目には生涯従い続ける覚悟を求められました。残念ながら、この主イエスの返事に三人は応えることができませんでした。自分には到底不可能だと思われたのでしょう。しかし、キリストは言葉通りに受け止めることを求めておられたのではありませんでした。聖書にも家族を大切にすることが再三出て参ります。問題は、それでも物事には優先順位があって、時には家族を犠牲にしてでもキリストに従う方が神の御心に適う時があるということです。ここで求められているのは、弟子としての覚悟なのです。
この箇所の前を見ると、主イエスがどのような状況に置かれていたのかが分かります。同じ9章にはエルサレムに向かう一行に受難予告を二度しています。主イエスが全世界の救いのために自分の命を犠牲にして人々の罪を背負う覚悟が伺えます。一方で、弟子たちは誰が一番偉いかなどと浮かれた会話で盛り上がり、サマリア人たちに土地を通過することを歓迎されなかった時には、彼らを呪うような言葉を口にする未熟な弟子たちでした。それでも主イエスは忍耐強く弟子たちに従う覚悟を教えておられたのです。10章で主イエスは、未熟なままの弟子たちを宣教にも遣わされました。
キリストの弟子になるためには完全である必要はありません。大切なのは不完全な者を最善に用いて下さる救い主に信頼して、すべてに優先して本気で従う弟子としての覚悟なのです。キリストは、それにふさわしいお方です。