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主日礼拝宣教要旨

2016年4月3日(日) 礼拝宣教要旨 「地の塩、世の光として」 マタイによる福音書5章13-16節

 

主題)「地の塩、世の光として」 マタイによる福音書5章13-16節  斎藤信一郎牧師

「あなたがたは地の塩である…あなたがたは世の光である…。」(13~14節抜粋)

 今月から主イエスがガリラヤ湖畔のなだらかな丘の上で話された山上の説教と言われる箇所から御言葉に聞いて行きます。主イエスが語る塩と光には共通点と対照的な所があります。まず対照的な所は塩が水に溶けて自分の存在を見えなくすることによって効果を発揮するのに対して、光の方は人目に着く場所に自らを置くことによって効果を発揮するという違いです。そして塩に関して言えば、塩の役目とは自己主張することではなく、むしろ裏方に回って他の素材や味を引き立たせることにあります。対照的な砂糖でさえ、塩が少し加わることによって一層甘さを引き立たせることができます。同じように地の塩としての私たちの役割とは、自分自身が目立つことではなく、私たちの存在をむしろ隠して、他の人の能力や賜物をより発揮できるように手助けする働きだと言えます。

 これに対して世の光の役割とは、むしろ人々の前に聖書の知恵を示したり、クリスチャンとしての模範を示すことによって見える形で人々に道を示すことだと言えます。どちらも大切だと主イエスは語るのです。そして地の塩にも世の光にも似た特徴と役割があります。共通点は塩も光も弱すぎたり、強すぎたりすると他のことを逆に妨げてしまうということです。また共通の特徴とは、どちらも用い方次第では腐敗を防止する役目があるということです。塩にも光にも殺菌作用があるように、私たちは神様に用いられる時、この世の不正や罪の誘惑から人々を正しい道に連れ戻す働きをすることができます。

 しかし、私たちは常にベストの状態ではありません。むしろ、塩や光のバランスを崩しがちです。そこで大切なのは御言葉と祈りによってキリストにバランスを調整していただくのです。そのためにも、礼拝や祈祷会、そして日々のデボーションを新年度も大切にしていきましょう。主イエスこそ、私たちの人生の道の光であり、あらゆる罪から清める塩なのです。

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