「バプテストのヨハネとして」 マタイによる福音書3章1-12節
「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。」(1-2節)
バプテスマのヨハネの父はダビデ王の時代から続くアビアの組の祭司に属し、母に至っては初代の大祭司であるモーセの兄アロンの直系の子孫でした。しかも両親が年を取り、子どもを諦めていた時に与えられた唯一の跡継ぎでしたから、両親から将来を大変期待された人物でした。しかしながら、彼は神から与えられていた特別な使命のために代々伝わる祭司の仕事を放棄し、荒野で粗末な服と食事に甘んじて救い主の到来を待っていました。
聖書に語られているヨハネと主イエスの共通の重要語句は「悔い改めよ。天の国は近づいた」でした。この言葉は聖書の最重要語句であると共に、ヨハネと主イエスとでは同じ言葉でありながら内容においてそれぞれ違った役割を持っていたと思われます。バプテスマのヨハネはどのような意味で語っていたのでしょうか。ヨハネは10節に「斧は既に木の根元に置かれている」と語る通り、差し迫った神の怒り=裁きの時=としての天の国が近づいたことを意識しながら語っていました。そうなる前に不信仰な者はもとより、人々から信仰深い人々と尊敬されていたパリサイ人やサドカイ人も例外なく悔い改めて、神に従う正しい(相応しい実を結ぶ)生き方をするように語り、人々に悔い改めのバプテスマを授けました。
その一方で彼は自分の後に来られる救い主は聖霊と火で人々にバプテスマを授けるお方であることを語り続けました。この特別な聖霊による火はあらゆる者を清め、鉄が火で精錬されるように人々から罪という不純物を取り除くそのような救い主であることを語り続けました。今日、私たちがその役割を受け継いでいます。「バプテストのヨハネ」として人々を主イエスへとつないで参りましょう。