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主日礼拝宣教要旨

2015年11月22日「キリストの十字架を担う人々」マタイによる福音書5章11~12節(斎藤信一郎牧師)

マタイによる福音書5章11~12節

「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

9つの信仰成長の段階シリーズも最後となりました。9つ目の幸いでは特にクリスチャンならではの幸いであることが強調されています。キリストの弟子であるがゆえに迫害や悪口など、あらゆる種類の被害を受けることがあります。しかし、それらは決して神の目から隠されることはなく、やがて例外なく報われるという確かな約束です。

この世においては一見最後まで報われず、泣き寝入りし、大損するようなこともあります。しかし、クリスチャンとして生きることにおいて受ける一切の負の出来事で損をすることは決してないことを主イエスは約束して下さっています。事実、主イエスはあらゆる人間が味わう惨めさ、差別や誤解、苦しみ、孤独をご自分の身に受けられました。十字架に架けられて極限の拷問を受け、しかも人々から呪われながらこの世を後にする時でさえ、最後まで人類の救いのために執り成し祈り続けながら息を引き取られました。イエス・キリストが背負われた十字架は絶望の十字架ではなく、私たちを人生におけるあらゆる呪いと苦しみから救い、解放するための希望へと導く十字架だったのです。

この世においてはクリスチャンとして生きていくことは必ずしも楽ではありません。それでもキリストを信じ、自らも希望の十字架を担って行こうとするのが最後の9番目の成長段階です。クリスチャンとして生きるということは恐怖や痛みや辛さがなくなることを約束するものではありません。しかし、私たちにキリストが授けて下さる信仰と希望と愛は、困難に直面してなお、増していくことができるのです。数えきれないほど多くの歴代のクリスチャンたちが実体験している事実です。

クリスチャンとしてこの世で積み重ねていくことができる9つの信仰成長の段階を共に一つずつ大切にしながら歩みを積み重ねて参りましょう。

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