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主日礼拝宣教要旨

2015年10月18日「神の国は来ているのだ」マタイによる福音書12章22~32節(篠谷輝俊牧師<新潟主の港キリスト教会>)

マタイによる福音書12章28節
「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」

 

今日の聖書箇所のイエスさまのみ言葉は、すごいインパクトのある言葉です。「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。「天の国」「神の国」は、私たちのほうから努力・精進して行く所、ではない。「神の国」のほうから、私たちのところに来たのだ、と言うのです。これを驚かずにおれるでしょうか? 「いったいどこに来ているというのか?」そう思って、思わずあたりをキョロキョロ見回してしまいそうになってしまいます。しかし、やはり、神の国が来ているようには、見えない。そうすると、イエスさまのおっしゃった言葉は、どういうことなのでしょうか?

悪霊の働き、それは、人が神さまを信じないようにさせる、という、ただ一つの目的によるのです・・・・。きょうの聖書で言えば、目が見えず、口を利けなくすることによって、つまり、そういう苦しみを味わわせることによって、その人が「神さまなど居ない。こんな苦しい目に遭うなんて、神さまなど居ない!」、と言わせるため、なのです。すべては、人を神さまから引き離すため、神さまを信じないようにさせるため、なのです。神さまを信じないというのは、神さまというのは愛ですから、愛を信じなくさせるのと、同じことなのです。

しかし、そこにイエスさまが来られたのです。イエスさまが来られて、苦しみや悲しみをいっぱい負わされて、まさに神さまを信じられなくなりそうに、なっていたであろう、この人を、イエスさまが憐れんで、いやされたのです。そして言われました。「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。「神の国」とは、「神の支配」という意味です。神さまが居るところ、神さまの支配するところです。これは、イエスさまがおられるところが、神さまの支配するところであり、神の国である、ということなのです。したがって、イエスさまが「神の国が来ている」とおっしゃったとき、周りをキョロキョロ見回して、「どこに??いないじゃない?」、という必要がない。「自分がこれだけ祈ったのだから」「自分はこれだけがんばったのに」・・・。そうではなくて、憐れみ深いイエスさまに目を留めることなのです。「イエスさま、まことにその通りです。あなたは、こんな罪深い私のようなもののところに、『神の国は来た』とおっしゃってくださっている」、ということに、まず気づいていきたいのです。

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