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主日礼拝宣教要旨

2015年8月9日「キリストの平和」コロサイの信徒への手紙3章15節(斎藤信一郎牧師)

主題)キリストの平和・コロサイの信徒への手紙3章15節

「また、キリストの平和があなたがたの心を支配(占有)するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」

 

今回の聖書箇所およびヨハネによる福音書14章27節、16章33節そしてテサロニケの信徒への手紙Ⅱ3章16節のみことばを通して、私たちが日常使う「平和」とは少し違う意味の「キリストの平和」というものがあることを教えられます。一般的な平和は状態を指すことが多く、戦争がない状態や深刻な悩みがない状態などを意味する言葉として用いられます。これに対してキリストの平和とは①平和そのものであるキリストが与えて下さる平和であり、②平安が伴うものであり、心が騒ぎ、おびえるような時にもキリストによって平安にされていくことができるものです。③そして、この平和はいついかなる場合・状況の中でもキリストによって与えられることが可能な平和です。

また、④キリストは私たちにもその平和を共に実現して生きる者になるように招いています。マタイによる福音書5章9節に「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。」とあるようにキリストが与えて下さる平和とは戦争のない状態のことを言うよりも戦争の状態のただ中でむしろ平和を実現することだと示されます。それではこのようなキリストの平和はどのようにして実現されるのでしょうか。イエス・キリストは敵意を持たれて十字架に架けかれ殺される目に遭いました。まさに戦争状態です。その時キリストは敵として相手を見ずに、相手を悔い改めて救われるべき罪人として捉え、命を懸けて執り成し祈られました。

キリストは私たちが真の弟子になりたいならば、このような十字架をそれぞれが背負うことを教えておられます。キリストの平和こそ、天国における平和です。天国で永遠に住むためにはどうしても身に着けておきたい平和です。

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