「日々の信仰の糧」2015年5月17日 マタイによる福音書4章1~4節
4:3~4 すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
今月は主の祈りの第四の祈り「われらの日用の糧を、今日も与えたまえ」について御言葉に聞き、その理解を深めて参りました。主イエスは食べ物の意味の一つに神の御心を行い、御業を成し遂げるという理解を持っていました。従って、「主なる神が与えて下さる使命に今日も従い、生きることができますように」という意味も含まれます。
また、旧新訳聖書は神の言葉を命のパンと表現し、日々聖書の言葉を大切にしながら主日礼拝に備えていくように教えています。このような視点からは「どうか今日も私たちに必要な御言葉を下さい」と祈りつつ、「どうか主日礼拝に向けて今日という日を生かすことができますように」という意味の祈りも含むと良いでしょう。
また、食料事情が安定している日本においては今日一日の食べ物のために真剣に祈り求めることはほとんど考えられません。しかし、世界規模では毎日2万人以上、毎年800万人以上の人々が飢餓により命を奪われているという報告があります。これはあらゆる紛争、天災、疫病、テロによる死亡者数をも上回る世界で最も人を死に追いやっている日常化された人災と言う見方もできます。「われらの」と祈る時、「世界中で毎日飢餓のために命の危機の中にある人々に必要な糧が与えられますように」という祈りも含まれてしかるべきなのではないでしょうか。
そして最後に主イエスが荒野で「人は神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言われ、安易な問題解決方法を選択するようにそそのかした悪魔の誘惑を退けました。そのような意味で「今日神が示して下さる課題に対して犠牲を払ってでも正しく選択していくことができますように」という意味の祈りも込めて主の祈りを祈ることが示されます。共にこのような視点を大切にしながら主の祈りに導かれたいと思います。