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主日礼拝宣教要旨

2014年12月21日「目を覚ましてキリストを迎える」(斎藤信一郎牧師)

「目を覚ましてキリストを迎える」 2014年12月21日 テサロニケの信徒への手紙一 5章1~11節

 

5:9 神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。 5:10 主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。

キリスト教を信じるということは時に世界の常識の中では実に不可思議なことのように思うことがあります。それもそのはずで、キリスト教では約2000年前に若干33歳で死刑になって死んだユダヤ人を毎年クリスマスごとに誕生をお祝いし続けているからです。その主人公であるイエスという人物は家畜小屋で生まれた赤ん坊ですが神のひとり子としておがみます。また30歳までの生涯についてはあまり知られておらず、わずか3年半だけ布教活動をして独身のまま死にました。これは他の三大宗教である仏教やイスラム教の開祖であるシャカやモハメットたちが裕福な家庭で育ち、結婚して子どもも与えられ、修行をして悟りを開き、その教えを長年説いて多くの弟子を育て、世の中の役に立つ慈善事業をして最後には多くの人に惜しまれながらこの世での生涯を閉じた開祖たちとは大違いです。しかもクリスチャンは大まじめにキリストは死んで墓に葬られてから三日目に復活し生き返ったと信じます。そのキリストは生前にも多くの病や障害を負った人を癒し、死んだ人さえ生き返らせたということを信じます。そして何よりも、世界中のあらゆる国と民族に20億人いるとも言われるキリスト教徒は、キリストこそ自分たちを罪とその呪いから救って下さるために神から遣わされた救い主だということを信じて心にキリストを真摯に迎え入れる祈りをしてクリスチャンになります。このようなことが世界中でこの2千年間絶やすことなく続いていること自体、奇跡なのかも知れません。そのキリストは再びこの世に来られることが予言されています。それからこの世界は最後の審判の時代を迎えます。その時がいつかは決してわからないと聖書は宣言しています。しかし、いつその時が来てもいいようにクリスチャンは目を覚まして待つことが求められています。

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