「地の果てにおいても」
わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。(ローマの信徒への手紙8:38~39)
私たちの人生は「旅」になぞらえることができます。旅である以上、時には厳しい困難な道を歩まされる時もあります。しかし、クリスチャンの旅は決してひとりぼっちではなく、主なる神と共に歩む旅だということが言えます。本当に幸いなことです。さて今日、無牧師教会の旅の終わりに、西川口教会で礼拝を捧げることができることを感謝します。どんな旅だったでしょうか、どんな旅が始まっていくのでしょうか。 伝道者のパウロの旅は、とても過酷な旅だったと想像できます。迫害され、捕縛され、牢獄に入れられたり、船で遭難したり、ある時は同じクリスチャンたちから中傷されるような出来事も多々あったようです。彼自身、いったいなんと惨めな人間なのでしょうと、弱音を吐き、逃げ出したい思いを書いています。揺れるクリスチャンの姿が見えます。私たちの姿にも重なります。 しかし、その一方でパウロはやっぱり、主イエス・キリストは感謝すべきかな!と書きます。そして、今日の聖書の箇所のように、神の愛と私たちの間を切り離す力のあるものは、何もないと言います。死はおろか、命や天使、高いところにあるものさえも、と付け加えているのです。主イエス・キリストによって示された神の愛は私たち一人ひとりを捕えて離さない、と。 「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。ヨハネ3:16 それほどに神の愛は、広く深い。ゆえに、私たちがたとえ地の果てに置かれても、病いの床、死に臨んでも、神の愛は私たちを決して離れないのです。それどころか、希望へと生かしてくださる。そういう愛に支えられて、斎藤信一郎牧師と共に新しい旅に進んでいかれる西川口教会のこれからの歩みに心から期待しています。