「主の希望に生きる」
復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。(レビ記19章18節)
「レビ記」19章は「祭司の十戒」と呼ばれている箇所です。人が人として守るべき教えが書かれていると誰もが思う御言葉ではないでしょうか。しかし実際この言葉に生きようとするとき、私たちは如何にこの言葉を生きることが難しいかを知るのです。「心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である」(レビ記19:17~18)。今、私たちはどうでしょうか。私の隣人を愛しているでしょうか。何の躊躇もなく「愛しています」と答える人は、おそらく誰もいないでしょう。では、今日の聖書の言葉は単なる理想の世界でしょうか。そうではないと思います。理想とも思える言葉がイエス・キリストの生涯において、単なる綺麗事ではなく実際の出来事となる確かな言葉とされているのです。そして、そのイエスさまは2千年前にこの地上を生きてくださっただけではなく、復活の主として今も生きて私たちのうちに働いておられます。 けれども、私たちは思うかもしれません。イエスさまは聖書の言葉を生き抜いてくださったけれども、私たちは同じようには生きられないと。その通りでしょう。私たちはイエスさまと同じようには生きられません。嘘もつきます。人を憎みます。聖書の言葉がいつまで経っても自分のものとはならないのです。しかし、そのことが大切なのです。御言葉は私たちが所有するものではなく、御言葉が私たちを捕えるのです。御言葉は私たちを放しません。そこに希望があります。主の言葉に捕えられた者として、主の希望のうちを歩んでいきたいと思います。