2026年10月25日 礼拝宣教要旨
「あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。/渇いているなら水を飲ませよ」
箴言25章21節
箴言25章は、「ユダの王ヒゼキヤのもとにある人々が筆写した」箴言です。アッシリアに包囲され、人々の信頼を揺るがす言葉が投げかけられた危機の時代に、人々は先人の知恵を読み直しました。平穏な時も不穏な時も、人を生かす言葉とは何か。25章には、言葉をめぐる箴言が並んでいます。
「時宜にかなって語られる言葉は、銀細工に付けられた金のりんご」(11節)。「時宜」は旧約聖書でここにしか出てこない言葉で、詳しい意味ははっきりしません。あえて分かりにくく語ることで、箴言は、今口から出ようとしている言葉を吟味するよう促しているのかもしれません。争いの中で秘密を漏らす言葉は関係を壊し(9-10節)、忍耐強く語られる柔らかな言葉は、固く閉ざされた心をも動かします(15節)。そして箴言は、語る知恵と共に、聞き分ける耳の知恵も忘れません(12節)。
その終着点に、箴言は驚くべき言葉を置きます。「あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ」。求められているのは、相手を好きになることではなく、命をつなぐパンと水を拒まないことです。エリシャは、捕らえられたアラムの軍勢にパンと水を与えて帰らせ、略奪隊は二度とイスラエルの地に来ませんでした(列王記下6章)。報復ではなく食卓が、争いの連鎖を断ち切ったのです。
ただし、この言葉は、傷ついた人に我慢を強いるものではありません。まず守られるべきは、傷ついた人の安全と尊厳です。敵を愛するとは、相手のなすがままになることではなく、報復の思いを手放し、裁きを主に委ねることです。パウロはこの箴言を引用し、「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」と続けています(ローマ12:20-21)。
「主があなたに報いられる」(22節)は、直訳すると「ヤハウェがあなたにシャロームする」となります。私たちが報復を手放したところに、主ご自身が働き、平和で満たしてくださるのです。主イエスを三度否認した時、ペトロは炭火に当たっていました(ヨハネ18:18)。復活の主は、湖のほとりに炭火をおこし、パンを用意して、そのペトロを食卓に招かれました(21:9)。自分を裏切った者のために、主は食卓を整えてくださったのです。
仕える共同体とは、気の合う者同士の集まりではなく、主が整えてくださった食卓に共に招かれている群れです。関係がこじれてしまった人のために、すぐにパンを差し出すことはできなくても、悪い言葉を返さないこと、その人のために祈ることから始めることができます。今、私たちの口から出ようとしているのは、主の平和に共に生きる言葉でしょうか。