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主日礼拝宣教要旨

「愛はすべてを覆う」 朴 思郁 牧師

2026年10月18日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:箴言10章11-12節(参照 1-10節) 

憎しみはいさかいを引き起こす。/愛はすべての罪を覆う

箴言10章12節

 箴言10章には、手や口、唇、目など、私たちのからだに関わる言葉が繰り返し出てきます。知恵とは知識の多さだけではなく、手を用いて何をし、どのような言葉を語り、どのようなまなざしで人に向き合うかという、日々の振る舞いの中に表れるものです。
 「神に従う人の口は命の源」(11節)。特別な助言でなくても、気にかけてくれていると分かる一言が、人をもう一度歩み出させることがあります。一方で「目くばせする者は人を苦しめる」(10節)とあるように、言葉にしない表情や合図が、輪の外にいる人を傷つけることもあります。この御言葉は、まず私たち自身への問いです。
12節で「引き起こす」と訳された言葉には、眠っているものを揺り起こすという意味もあるそうです。憎しみは、解決したはずの過去の失敗まで呼び覚まし、一つの出来事でその人のすべてを判断させます。しかし愛は、相手を過去の失敗の中に閉じ込めず、その人がもう一度歩み出せる道を共に探します。
 創世記9章で、セムとヤフェトは後ろ向きに歩いて、父ノアの裸を覆いました。人の弱さを話の種にするのではなく、その尊厳を守るために、そっと覆うこともできるのです。
 ただし、罪を覆うことは問題を隠すことではありません(箴言28:13)。傷ついた人に「愛があるなら赦しなさい」と沈黙を求めるなら、守られているのは、問題に向き合いたくない私たちの都合かもしれません。まず傷ついた人の声を聴き、安全と尊厳を守ること。そして傷つけた側が自分の行為と向き合い、責任を引き受けることが、回復には欠かせません。
 そのような愛は、神さまが先に私たちを愛してくださったことから始まります。主イエスを三度否認したペトロに、復活の主は三度「わたしを愛しているか」と問い、御自分の羊を養う務めを託されました(ヨハネ21章)。主の愛は失敗を軽く扱わず、しかし失敗だけでその人を決めることもありません。ペトロの手紙一は「愛は多くの罪を覆う」と語り、続けて、賜物を生かして互いに仕えるよう勧めています(4:8-10)。
 教会のトイレは、誰もいないときに掃除をしてくださる方によって、いつもきれいに保たれています。目立たない奉仕に気づいて感謝を伝え、時には共に担うこと。失敗しても互いの声を聴き、もう一度歩み出せる交わりを、主の愛の中で共に育んでまいりましょう。

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