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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

「わたしの闇を照らす主」朴 思郁 牧師

2026年9月27日(日)召天者記念礼拝 宣教要旨
聖書箇所:サムエル記下 22章26節-31節

主よ、あなたはわたしのともし火/主はわたしの闇を照らしてくださる

サムエル記下 22章29節

 映画『オデュッセイア』の主人公には、どれほど遠く離れても忘れられない場所がありました。故郷「イタカ」です。仲間を失い、長い年月を海の上でさまよいながら、彼が願い続けたのは、ただ一つ、帰ることでした。人間には、どこかに「帰るべきところ」を求める思いがあります。愛する方々を覚えて集う今日、それは私たち自身への問いでもあります。
 今朝の箇所は、サムエル記の最後近くに置かれた歌です。ダビデは、非の打ちどころのない英雄ではありません。力を手にした後に過ちを犯し、息子との関係を回復できないまま、その子を失った人です。その生涯の終わりに彼が歌うのは、自分の功績ではなく、生涯を通して共にいてくださった神さまです。人の生涯は手柄の一覧ではなく、神さまが共に歩んでくださった物語です。
 私たちは愛する方を送ったあと、その生涯を、そして自分自身を採点します。もっとこうしてあげられたのではないか、という後悔もあります。けれども聖書は、生涯の値打ちを正しさで測りません。立派だから愛されたのではなく、愛されていたから、その生涯があったのです。
 「主よ、あなたはわたしのともし火」。太陽の光ではなく、手に持てるほどの小さな明かりです。聖書は、闇がなくなるとは言わず、闇の中で明かりが灯ると言います。部屋全体を昼のようには照らしませんが、次の一歩を踏み出す足元を照らします。
 「すべて御もとに身を寄せる人に/主は盾となってくださる」(31節)。私たちの道は完全ではありません。今日できるのは、先に召された方々を、私たちの記憶や後悔の中にではなく、その生涯を共に歩まれた方の御手にゆだねることです。強い人ではなく、身を寄せる人が守られます。
 オデュッセウスは自力で故郷へ帰り着きました。けれども私たちは、迎えられて帰ります。「あなたがたのために場所を用意しに行く」(ヨハネ14:2)。今日覚えている方々はすでにその場所に帰り着き、私たちはまだ旅の途中です。
 記念するとは、ただ懐かしむことではなく、受け取ったものを次へ手渡すことです。先に召された愛する方から受け取った言葉や後ろ姿を持ち続けることが、その生涯をこれからも生かしていきます。闇はまだあります。けれども、ともし火は灯っています。その小さな明かりを頼りに、私たちも歩んでまいりましょう。

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