2026年5月3日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:ローマの信徒への手紙 12章4節〜8節
わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。
ローマの信徒への手紙 12章6節
私たちは、キリストにあって一つの体とされ、それぞれに異なる賜物を「与えられた恵み」として託されています。賜物は勝ち取ったものでも、もともとあった才能でもなく、神の側から先立って注がれている贈り物です。そしてそれは自分のためではなく、互いの益のため、キリストの体を建て上げるために差し出されるもの——この事実こそが、本日の御言葉全体の土台です。賜物を活かして、今ここでどう共に歩むのか——今日は三つのことを共に聴いてまいりましょう。
まず、私たちは「キリストに結ばれて一つの体」だということについてです。パウロは賜物の話に入る前に、この事実から語り始めます。私たちが何かをして体に「加わる」のではなく、すでに加えられている者として、自分の場所を発見していく——それが私たちの歩みです。「自分には何ができるか」という問いに先立って、「私はどの体に属しているのか」を覚えること。この土台は、自分の働きを誇りたくなる時にも、何もないと感じて沈み込みそうな時にも、変わらず私たちを支えてくれます。
次に、賜物は「与えられた恵み」によるものだということについてです。賜物は自分で勝ち取ったものでも、もともとあった才能でもなく、ただ「与えられた」贈り物です。私たちは所有者ではなく、預かっている者にすぎません。だから誇る必要も、卑下する必要も、比較する必要もないのです。6〜8節には、預言や教えと並んで、奉仕・施し・慈善といった一見地味な働きが、何の区別もなく並べられています。日頃ごく自然にしている祈り、声かけ、手を差し伸べること——そのすべてが、「与えられた恵み」の確かな現れなのです。
最後に、賜物は「他者のために」差し出されるものだということについてです。手は手のためではなく体全体のために動くように、賜物の方向は自分自身ではなく他者へと向かっています。家庭で、職場で、教会で——私たちが日々ささやかに差し出している働きの一つひとつが、確かに「他者のために差し出される賜物」として、神の御前に覚えられているのです。今、私たちの教会は、これまで育まれてきた賜物が、より豊かに組み合わされていく季節を迎えようとしています。それは誰か特別な人に任せきる話ではなく、一人ひとりが、それぞれの場所で関わっていく営みです。
私たちは多くの数で、しかし一つの体です。それぞれ異なる賜物は、比べ合うためではなく、組み合わされるために与えられています。「賜物を活かして」——それは、特別な誰かの話ではなく、今ここに集う一人ひとりに、すでに語りかけられている招きです。今週も、与えられた恵みを互いに差し出し合いながら、共に歩んでまいりましょう。