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地域と共に歩む桜並木の教会

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主日礼拝宣教要旨

「十字架のただ中にある恵み」 朴 思郁 牧師

2026年3月29日(日) 主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:マルコによる福音書15章33-41節

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」

マルコによる福音書15章34節

 今年度も、「地域とともに生きる教会共同体」を体現すべく、さくらマルシェをはじめ様々な歩みを重ねてまいりました。この一年、喜びの時も困難を覚えた時も、主が支え導いてくださったことを感謝します。教会は存続のためだけでなく、この地域にいかに仕えるかを問い続けるところに使命があります。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために来た」(マルコ10:45)。その仕えるイエスさまの歩みの頂点が、今朝の箇所です(マルコ15章33〜41節)。全地が暗くなる中、イエスさまは「わが神、わが神、なぜ」と叫ばれ、息を引き取られました。しかしこの最も深い闇の瞬間にこそ、不思議な光が宿っています。この出来事から、信仰の歩みへの三つの招きを聴いてまいります。
まず、問いと信頼は矛盾しないことへの招きです。イエスさまは「なぜ」と叫びながらも、神さまをあくまでも「わが神」と二人称で直接呼びかけ続けられました。絶望の中にあっても、神さまを遠い「あの方」として三人称で語ることはなかったのです。詩篇22篇が絶望の叫びから賛美と信頼の告白へと結ばれているように、この叫びは信仰の終わりではなく、神さまへの道の一部でした。問い続けることこそが、神さまとの関係の中に留まり続けることの証しなのです。
 さらに、神さまから開かれた扉への招きです。「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(38節)。上から——神さまの側から——裂かれたこの出来事は、神さまと人間を隔てていたものが取り除かれたことを示しています。自分には資格がない、神さまから遠い場所にいると感じる方——その扉は、イエスさまによってすでに開かれています。「大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(ヘブライ4章16節)。十字架という最も暗い場所に、この解放の恵みが宿っていました。
 最後に、十字架のそばに留まり続けることへの招きです。百人隊長はイエスさまの最期を正面から見つめ続け、「本当に、この人は神の子だった」と告白しました。また婦人たちは弟子たちが逃げ去る中、「遠くから見守り続け」ました。何もできなくても立ち去らなかった——この留まり続ける姿の中に、信仰の一つのかたちがあります。その場にいたことが、後に復活の最初の証人として立つ根拠となっていくのです。
 十字架は終わりではありません。「わが神」と叫ばれたイエスさまが、私たちの問いも弱さもすべて受け止めてくださる。垂れ幕を裂いて開かれた道を通り、大胆に神さまのもとへ近づくことができる。何もできなくても十字架から目を離さずにいることが、復活へとつながる信仰の歩みとなる。この受難週の一週間、十字架のただ中にある恵みを胸に刻みながら、共に歩んでまいりましょう。

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