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主日礼拝宣教要旨

「真の慰めに導く方」 朴 思郁 牧師

2025年12月28日(日) 主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:ルカによる福音書2章25-32節

「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」

ルカによる福音書2:29-30

 ルカによる福音書2章25〜32節は、イエス様の誕生から約40日後、エルサレム神殿で起こった出来事を記しています。律法の定めに従って幼子を献げるために神殿を訪れたマリアとヨセフを、シメオンという老人が待ち受けていました。年末礼拝として、私たちはこの「真の慰めに導く方」の物語から、一年を振り返りつつ、新しい年への希望を受け取りたいと思います。
 第一に、聖書は「慰めを待ち望む信仰」を示しています。シメオンは「正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた」人でした。彼は「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」との約束を握りしめ、毎日神殿に通い続けていました。注目すべきは、シメオンが待ち望んでいたのが「勝利」でも「回復」でもなく「慰め」であったことです。当時、多くの人々はローマを打ち倒す力強いメシアを期待していました。しかしシメオンは、人々の真の必要が魂の奥底に届く「慰め」であることを深く理解していたのです。
 第二に、聖書は「救いを見た喜び」を伝えています。シメオンは霊に導かれて神殿に入り、貧しい献げものを携えた若い夫婦に抱かれた幼子を見つけました。彼は幼子を腕に抱き、「わたしはこの目であなたの救いを見た」と告白しました。シメオンが見たのは、豪華な衣に包まれた王子ではなく、小さな赤ん坊でした。しかし彼はこの幼子の中に「万民のための救い」「異邦人を照らす光」を見たのです。「安らかに去らせてくださいます」という言葉には、深い平安が満ちています。神様の約束が成就したからこそ、シメオンは恐れではなく、満たされた喜びの中にいたのです。
 第三に、聖書は「礼拝を暮らしの真ん中に据える歩み」を教えています。シメオンが待ち望んだ「慰め」は、やがてマリアの心を剣で刺し貫く出来事、すなわち十字架を通して私たちに届けられます。苦しみを避けて通る道ではなく、苦しみのただ中を通って与えられる慰め。それこそが「真の慰め」です。シメオンの賛美を聞いて近づいてきた女預言者アンナもまた、若くして夫と死別しながらも「神殿を離れず、断食したり祈ったりして」生きてきた人でした。二人に共通するのは、礼拝を喜びとし、自分のためだけでなく人々全体の救いを祈り求める姿です。
 この一年、私たちは様々な出来事を経験してきました。喜びも悲しみも、すべてが織り合わさった日々でした。しかし、その只中に神様は共にいてくださいました。シメオンのように希望を持って待ち続け、アンナのように礼拝を暮らしの真ん中に据える歩みを、新しい年も続けていきたいと願います。「わたしはこの目であなたの救いを見た」。このシメオンの告白が、私たち一人ひとりの告白となりますように。真の慰めに導いてくださる救い主イエス・キリストを仰ぎ見つつ、感謝のうちにこの年を閉じ、希望をもって新しい年を迎えましょう。

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