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主日礼拝宣教要旨

「主を求めて生きる道」朴 思郁 牧師

2025年11月9日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:アモス書 5章4-15節

「わたしを求めよ、そして生きよ。 」

アモス書5章4節

 アモス書5章4~15 節は、神様の切実な招きと真の信仰のあり方を示しています。 11月の月間主題「感謝と祝福」の第2週として、私たちは「主を求めて生きる道」の意味を深く受け取ります。
 第一に、聖書は「神様からの愛に満ちた招き」を宣言しています。「わたしを求めよ、そして生きよ」 ──この言葉は単なる命令ではなく、神様ご自身が私たちとの交わりを求めておられる愛の招きです。神様は宗教的儀式だけでなく、神様ご自身との生きた関係を求めておられます。神様を求めることが、豊かで意味深く喜びに満ちた人生へと導くのです。
 第二に、聖書は「形式的な宗教ではなく本質的な信仰」を教えています。アモスの時代、人々は聖所に頼り形式的な宗教活動を行っていましたが、心は神様から離れていました。私たちも、教会活動そのものが目的になり、神様との生きた交わりを失う危険があります。神様を宗教的な「場所」や「行為」に限定せず、日々の生活の中で神様を求め、共に歩むことが本質なのです。
 第三に、聖書は「創造主なる神様の偉大さと愛」を示しています。「すばるとオリオンを造り/闇を朝に変え」 ──この賛美は、天地万物を造り支配しておられる創造主なる神様を示します。これほど偉大な神様が「わたしを求めよ」と呼びかけてくださっている。星々を造られた方が、小さな私たち一人一人に心を留めてくださっている ──これは何という恵みでしょうか。
 第四に、聖書は「善を求めることの実践」を教えています。「善を求めよ、悪を求めるな」 ──神様を求めることと善を求めることは切り離せません。神様との関係は、必ず具体的な善い行いとして現れます。「町の門で正義を貫け」とは、日常生活の中で具体的に正義を実現しなさいということです。弱い立場の人々に心を向け、不正義に声を上げ、勇気をもって善を求める ──たとえ一人の声は小さくても、神様と共にいるなら力を持つのです。
 第五に、聖書は「教会の使命と希望」を明らかにしています。教会は、神様に忠実であり続ける「残りの者」の共同体です。私たちは、この世の価値観に流されず、神様を第一に求め、善を追求する群れとして召されています。これは社会の中で光となり、塩となって生きることです。高齢者支援、災害対応、子育て支援 ──これらはすべて「善を求める」ことの具体的な表現です。大切なのは、まず神様を求めることから、これらの善い働きが生まれることです。
 現代において「主を求めて生きる」とは、日々の祈り、御言葉を読むこと、礼拝を大切にすること、日常で小さな善を実践すること、そして不正義に無関心でいないことです。
 私たちの信仰生活の目標は、「わたしを求めよ、そして生きよ」という神様の招きに応答し、まず神様を求め、その結果として善を追求することです。天地を造られた神様は変わることなく、私たちを愛し、交わりを求めておられます。神様を求め、善を追求する一週間としましょう。そうすれば、万軍の神なる主が私たちと共にいてくださるのです 。

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