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主日礼拝宣教要旨

「赦しへの道」 朴 思郁 牧師

2025年9月21日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:ヨシュア記 20章1-6節

「主はヨシュアに仰せになった。イスラエルの人々に告げなさい。モーセを通して告げておいた逃れの町を定め、意図してでなく、過って人を殺した者がそこに逃げ込めるようにしなさい。そこは、血の復讐をする者からの逃れの場所になる。」

ヨシュア記 20章2-3節

 ヨシュア記20章1~6節は、イスラエルの「逃れの町」の制度を通して、神の正義と憐れみが調和した赦しの道筋を示しています。古代社会の「血の復讐」という報復の連鎖が支配する中で、過失によって人を死に至らしめた者に対して神が備えられたこの制度は、現代を生きる私たちにとって、人間関係における赦しと和解の本質について重要な教訓を与えています。 
 第一に、聖書は「正義と憐れみの調和」を教えています。 神は意図的な殺人と過失による死とを明確に区別されました。これは罪を軽視するものではなく、むしろ人間の弱さと限界を理解し、回復への道筋を示してくださる神の深い愛の表れです。私たちは「完璧でなければ価値がない」という現代社会の価値観に圧迫されがちですが、神は私たちの不完全さを知りながらも、なお新しい始まりの可能性を与えてくださる方なのです。 
 第二に、聖書は「時間をかけた和解のプロセス」を明らかにしています。 逃れの町に着いた人は、町の長老たちの前で事情を説明し、大祭司が死ぬまでそこにとどまる必要がありました。これは感情的な復讐ではなく、冷静で公正な判断と、時間をかけて傷ついた関係を修復する機会を提供する制度でした。真の和解は即座の解決ではなく、相互理解を深めながら信頼関係を再構築していく忍耐強いプロセスなのです。 
 第三に、聖書は「共同体による回復の支援」の重要性を示しています。 逃れの町は隠れ家ではなく、過ちを犯した人が共同体の一員として新しい関係の中で誠実に生きていく場所でした。現代においても、失敗や過ちを通して神と向き合った人々こそが、他者の痛みに寄り添い、支える働きを担うのです。教会は傷ついた人々にとっての「逃れの町」となり、互いの重荷を負い合う共同体として召されています。 
 現代において「赦しへの道」を歩むとは、自分の過ちを認める勇気を持ち、他者の失敗に対して性急な判断をせず、時間をかけて真の和解を目指すことです。家族関係、職場での人間関係、あらゆる場面で私たちは傷つけ合うことがありますが、「逃れの町」の精神は、一時の感情で関係を断絶するのではなく、理解し合える関係を築いていくことの大切さを教えています。 
 私たちの信仰生活の目標は、キリストの十字架という究極の「逃れの町」にあって赦しを受け、同時に他者を赦し愛する者となることです。私たちも互いに「逃れの町」となり合い、神の正義と憐れみを証しする共同体として、この世界に神の愛を表していくのです。神の恵みは私たちの想像をはるかに超えて豊かであり、その恵みの中で、私たちは新しい人生を歩み始めることができるのです。 

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