2025年8月17日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:申命記10章12-22節
あなたたちは寄留者を愛しなさい。
申命記 10章19節
あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。
申命記10章12~22節は、戦後80年という節目を迎える現代の私たちに、戦争と平和、そして真の共生について深い洞察を与える御言葉です。紛争が絶えない世界で多くの人々が故郷を離れることを余儀なくされている今、「寄留者として生きる」というテーマは単なる社会問題を超えて、私たちの信仰の本質、神の民としてのアイデンティティそのものを問いかけています。
第一に、聖書は「謙遜な信頼から始まる真の幸い」を示しています。「今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か」という問いに対し、神は私たちに「主を畏れ、主の道に従い、心と魂を尽くして主に仕える」ことを求められます。これは束縛ではなく、「あなたが幸いを得る」ための道筋です。戦後80年を経た今、私たちが追い求めるべきは経済的繁栄や軍事的優位性ではなく、神との正しい関係に立つことです。人間の計画や力ではなく、神への信頼こそが真の平和と幸いへの出発点となるのです。
第二に、聖書は「弱い者への愛を示される神の性質」を教えています。申命記は神を「神々の中の神、主なる者の中の主」と描く一方で、同時に「孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる」方として示します。真の主権者である神は、常に社会の最も弱い立場の人々の側に立っておられます。現代日本に暮らす約360万人の外国人、世界各地の紛争で苦しむ人々——その方々こそ私たちが愛し、守るべき「寄留者」なのです。
第三に、聖書は「苦難の体験を愛の源泉に変える生き方」を提示しています。「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」という命令は、イスラエルの苦難の記憶を他者への共感と愛の行動に変える神の知恵を表しています。私たちもまた、この世では永遠に何かを所有することのできない「寄留者」です。この自覚こそが、私たちを独占や支配から解放し、神から託された賜物を分かち合う管理者としての生き方へと導きます。
現代において「寄留者として生きる」とは、自分の所有物に固執するのではなく、すべてを神からの賜物として受け取り、特に弱い立場の人々と分かち合う生き方です。小さな親切や思いやりであっても、それが神の御心に適った愛の業であるならば、神はそこにご自身の平和を実現してくださいます。
私たちの信仰生活の目標は、自らが「寄留者」であることを深く自覚し、身の回りの「寄留者」に具体的な愛の行動を示すことです。真の平和とは力による支配ではなく、弱い立場の人々に寄り添う愛から生まれる神の正義による調和です。教会もまた、文化や言語の違いを恐れるのではなく、その違いの中に現れる神の豊かさを見出し、すべての人を歓迎する共同体として、この世界に神の愛と平安を具体的に示していく使命があるのです。