2024年12月8日(日)
主日礼拝 宣教要旨
ルカによる福音書 2章25節
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
ルカによる福音書2章25節
コロナ危機を経験し、長い主任牧師不在期間を過ごした私たち。どちらも、答えの出ない、進むべき方向が分からない、とても不安な心細い時期でした。その中で、2023年度女性連合信徒大会・総会で西南大学神学部長の才藤千津子先生の講演を聴くことができ、危機の中での不安をどうとらえていけばいいのか、大きな示唆を与えられました。
「危機」は、危うい時であるとともに、「機会(チャンス)」のときであり、次の局面に進む「移行期」であるということ。そこには2つ以上の世界の間に挟まれた状況が生まれます。以前の常識や価値観などはすでに失っていますが、次にどのような価値観や方法で進むべきかは、まだ見えていない不安定な状況です。白なのか黒なのか分からない、いわば「灰色」の状況に置かれています。その「灰色」の中で、「『曖昧さ』に耐えていく力が必要なのではないか」という言葉が心に残りました。私たち人間は、不安定さから逃れるために、目に見える答えにしがみつきたくなります。けれども、そんなに簡単に正しい答えが見つかるのでしょうか。曖昧さを嫌い、早く何かをすることが求められている現代社会に対して、全く逆のように見える「『曖昧さ』を受け止め、『曖昧さ』に耐える力」は、とても重要なことに思えます。
「聖土曜日の神学」は、この「移行期」の不安と変化への期待に結びつけて考えられています。喪失(金曜日)と再生(復活の主日)に挟まれ、土曜日には何も起こらないように見え、私たちは神の沈黙と対峙して過ごすことになります。しかし、何も起こらないのではなくて、そこには新しい生命のプロセスが存在するのです。
シメオンの物語には「聖霊が彼にとどまっていた」とあります。彼もまた、聖土曜日の灰色の不安を持ちながら生き、待ったのだと思うのです。私たちには、主イエスが再び来られるという希望の光があります。移行期である今、さまざまな考え、方向性を持った意見があるのは当然です。喜び、悲しみ、違う意見、違う価値観を、お互いに聴いていきましょう。「正しく」なくて良いのです。相手に「正しさ」で勝つ必要はないのです。どこが違うのかを明確にすれば良いだけです。そしてお互いに違うからこそ必要だと認め合えること。主の無条件の恵みの中で生かされている私たちの交わりの中に、主の平和があるように、そして聖霊がとどまってくださるように、ともに歩んでいきたいと願います。