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主日礼拝宣教要旨

「謙遜の力」

2024年10月20日(日)
主日礼拝宣教要旨
ヨハネによる福音書 13章12-17節

「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」

ヨハネによる福音書13章14節

 一般的に、「謙遜」という言葉から多くの人々は控えめな態度や他者に仕える姿を想像されるかもしれません。日本では謙遜が重要な価値観とされていますが、時に自己主張が控えめすぎると誤解されることもあります。近年、ビジネスやリーダーシップの分野でも謙虚さが再評価されており、ジム・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー』では、謙虚なリーダーシップこそが組織を偉大にする力とされています。イエス・キリストが弟子たちの足を洗った行動には、そのリーダーシップの本質が表れています。今日は、この行動から謙遜の本当の意味について考えていきましょう。
 ヨハネによる福音書13章では、イエスが弟子たちの足を洗う場面が描かれています。弟子たちは「誰が一番偉いか」という議論をしており、イエスが新しい地上の王国を建て、自分たちが高い地位を得ると期待していました。イエスはそのような自己中心的な思いを知りながらも、叱るのではなく、足を洗うという謙虚で奉仕的な行動を示されました。この行動は、偉大さとは他者を支配することではなく、仕えることであるという教えを示すものでした。イエスは弟子たちに、謙遜と奉仕の生き方を命じられたのです。
 使徒パウロもフィリピの信徒への手紙2章5-8節で、イエスの謙遜を強調しています。イエスは「神の身分でありなが、神と等しい者であることをに固執しようとは思わず」、しもべの姿を取り、十字架の死に至るまで従順でした。この徹底した謙遜は、他者に仕えるために力を使う姿勢の究極の模範です。イエスの謙遜は、力を放棄するのではなく、それを愛と奉仕に変換するものです。私たちも、イエスの模範に倣い、与えられた力を他者のために使うことが求められています。
 イエスが示した謙遜の模範は、現代に生きる私たちにも深い意味を持ちます。社会では自己主張や競争がしばしば美徳とされますが、イエスは「他者に仕えることこそが真の力」と教えられました。日常生活で、自分を優位に立たせたいと感じる瞬間もあるかもしれませんが、イエスのように謙虚に他者に仕える姿勢が大切です。「足を洗う」という行為は、日常の小さな行動で他者に仕えることを象徴しています。その姿勢こそが私たちに祝福をもたらします。謙遜とは弱さではなく、他者のために力を意図的に使う選択なのです。謙遜の力は現代社会でも重要であり、私たちがイエスの教えに従い、他者に仕える姿勢を実践することで、真の祝福とリーダーシップの本質を体現できるのです。

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