2024年9月22日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所 コリントの信徒への手紙一12章12-20節
「そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。」
コリントの信徒への手紙一 12章12-20節
パウロがこの手紙で記している「体」と「部分」とは果たしてどのような関係にあるのか、またその「部分」にはどのような目的があり、どこに向かっているのか、ということを、聖書の言葉とパウロの姿から3つの点において見ていきたいと思います。
まず一つ目は、教会を形作っている私たちは聖霊による信仰告白で主イエスと結ばれているという点です。13節にある「一つの霊によって」、つまり主が聖霊を通して私たちに働きかけることにより私たちは恵みを受け取ることができます。信仰が与えられるのは主の賜物、霊的賜物です。
二つ目の点は、私たちは互いを必要とし、そして主に用いられているということです。私たち一人ひとりは神様から愛される対象であるものの、何らかの理由で自分自身を愛せなくなるような状態に陥ってしまっても、体なる主イエスは「私たち」という部分を必要としています。そしてそれぞれが異なっていることこそ、それぞれの存在意義があるのだとパウロは言います。
三つ目の点は、私たちは神から望まれて今ここに存在しているということです。18節では、神はご自分の望みのままに、体すなわち教会の部分である私たち一人ひとりを置かれたとあります。この「望みのままに」という意味は体である主イエスがその部分である私たちと一体となって存在し、日々共に歩んでくださっていることを私たちに知ってほしいという主の望みではないかと思っています。
パウロを通して語られた神の言葉は私たちの教会に対しても生きています。主のわざの担い手として私たちの教会がますます主によって用いられて神の御言葉を語り続けることができればと願います。神が私たちを望み、私たち一人ひとりに特別な役割を与えてくださったことを覚え、その恵みの中で共に成長していくことを祈りつつ、主に仕える教会共同体として歩んでまいりましょう。