2024年8月25日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所 テサロニケの信徒への手紙一 5章23-24節
「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。」
テサロニケの信徒への手紙一 5章23節
本日は「全人的救いを目指して」という題でお話しします。Ⅰテサロニケ5章23-24節では、使徒パウロが霊、魂、体のすべてが神によって守られ、聖なるものとして保たれるよう祈っています。テサロニケの教会は信仰が未熟で、再臨に関する誤解や不安がありました。そこで、パウロは神による全人的な救いの重要性を強調しました。パウロのメッセージの核心は、神が私たちの霊、魂、体すべてを守り、完全な救いへと導いてくださるということです。救いは霊的な側面だけでなく、感情、意志、肉体も含む全存在の変革を意味します。この理解に基づき、私たちは神に全存在を委ねることの重要性を学ぶべきです。
23節の「平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように」という言葉は、私たちの霊、魂、体すべてが神によって完全に聖なる存在として保たれることを示しています。「聖なる」とは、神との関係性にある存在を意味し、「全く」という表現は、私たちの全存在が神によって聖別されることを強調しています。このプロセスは日々の生活の中で進行し、霊的な成長、魂の変化、体の健康も含まれます。神の救いは、私たちの全存在を包み込み、調和と平和の中で完全な聖さへと導くものです。
23節後半の「あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り…非のうちどころのないものとしてくださいますように」という言葉は、神の守りと約束の確実さを強調しています。「守り」とは、霊、魂、体のすべてが神の力で完全に保たれることを意味し、これは私たちの力ではなく神の力によって成し遂げられます。私たちがどんなに弱さを感じても、神は私たちを守り、非の打ちどころのない者としてくださると約束しています。この約束の確実さを信じることで、私たちは安心して神に委ね、信仰生活を全人的に歩むことができるのです。
24節の「あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。」という言葉は、神の真実さと信頼性を強調しています。「お招きになった方」とは、神が私たちを選び、救いへ導くことを意味し、神はその約束を必ず成し遂げる真実なお方です。私たちは、この神の真実さに基づいて信頼を置き、全存在を神に委ねる生き方を選ぶべきです。神の真実さを信じることで、私たちは深い平安と希望を持ち、どんな状況でも神に依り頼みながら生きることができます。
神は私たちの霊だけでなく、魂や体も愛し、完全なものとして保とうとされています。私たちはこの真理を信じ、神に全幅の信頼を置き、全存在を委ねることが求められています。それは霊的成長に加えて、精神的、感情的、肉体的な健康も大切にし、神の栄光のために生きることです。困難に直面しても神の守りと導きを信じ、全人的な聖さを追い求める生活を心がけていきたいと願います。