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主日礼拝宣教要旨

「キリストに倣いて」M.I

2023年10月8日(日)礼拝宣教要旨
聖書箇所:フィリピの信徒への手紙 2章3-8節

 

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」

フィリピの信徒への手紙  2章3-4節


 私たちはその人のためと思いつつも、いつの間にか自分の思うように相手を動かそうと自分自身に固執してしまうところがあります。どこまで行っても自分中心、そのような私たちに対して、聖書は「へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。」と語ります。そして5節にあるとおり、キリストもこのように生きられたというのです。「注意を払いなさい」という言葉は、他者を認め喜びあい、他者と共に仕えていく「へりくだり」をキリストから学ぶことを意味します。私たちは他者ではなく、自分でもなく、まずキリストに目を向けなくてはなりません。
 キリストの生涯とは何でしょう。キリストは神の身分を捨てて、わたしたちと同じところまで降りて来られました。私たちと同じ人間としてこの世で暮らし、私たちを受け入れてくださった。それは自分が高められるためではなく、神様がほめたたえられ、神様の愛が示されるためです。キリストの生涯の本質は神に対する謙遜、従順、献身です。キリストは人間を支配することを願わず、人間に仕えることを願われました。それなのに人はキリストを受け容れず、自己中心と保身に走り、最後には弟子さえも裏切って、人々はキリストを十字架にかけてしまいました。キリストは私のためだけではなく、全ての人たちの罪のために十字架にかかり死なれ、復活されました。そして、キリストは今も生きて働き、私たちを執り成してくださっています。私たちはお互いにキリストによって罪赦された者同士です。神様から OK と太鼓判を押されている、お互いに尊い存在です。キリストに目を向けるとき、お互いの優劣など関係のない次元に立たされます。キリストに生かされている者として、互いを喜び尊ぶ者とさせられていくのです。
 私たちには何よりもキリストの「へりくだり」の精神が求められています。それは、柔軟さ、しなやかさにつながるのかも知れません。キリストがへりくだって側にいてくださるがゆえに、私たちは互いに尊敬しあい、共に喜びあえるようになるのです。そのように行動をしていく者となりたいと思います。

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