「ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた。」
ヨブ記42章10節
西川口キリスト教会 髙松 隆幸
ヨブは神を畏れ、悪を避けて生きてきた人で、義の人でした。神はヨブの信仰を誇り、サタンの企みを打ち砕かれた。すなわち、サタンは、ヨブが神を呪うようにと、彼の子供・使用人を亡き者にし、家畜等の財産を奪い、更には、ひどい皮膚病に罹らせました。しかし、このような悲惨な状況にあっても、彼は唇をもって罪を犯すことはしませんでした。この話を聞いて、ヨブの友人たちは、彼を慰めるためにやってきました。しかし、この様な災禍にあうのは、み心に背いたからであると、ヨブを非難するのでした。無垢な正しい人で、神を畏れ悪を避けてきたヨブは、神の戒めを大きく逸脱していないと、友の説得には頷けませんでした。彼らとの議論には答えは出ず、神は沈黙を貫かれるのがヨブを苦しめたのでした。
神はついにつむじ風の中からヨブに言われました。神を人間的倫理主義をもって規定することが、創造主たる神の絶対性に対する否定につながることに思い至らなかったこと、要するに、人間の自己絶対化が問題であると言われるのでした。さらに神は、三人の友が悔い改めをすれば、ヨブはそれを受け入れるであろうと言われました。このことを神から悟らされて、友人たちは、自己中心的な思いでヨブを問い詰めたことを悔い改め、罪の償いをしました。ヨブは彼らの悔い改めを受け入れ、執り成しの祈りをもってこれに応えました。 そして、すべてを神に委ね、神に信頼し、己を顧みつつ感謝の気持ちで信仰を貫くヨブの姿に大いなる祝福が与えられたのでした。
わたしたちは、主を信じるとしながらも、なお、自己中心的な行動に走る罪深いものです。すべてをご存知の神は、憐れなわたしたちを愛し、慈しんで救いに導いてくださる働きをされています。神の愛と慈しみに触れる時、苦しみをも神に委ねることができる神との関係性が回復されるのです。神と真摯に向き合うことで神の慈しみに満たされ、希望に筋道が与えられるきっかけとなるのです。このことをわたしたちは心から喜び、感謝して歩んでいくものでありたいと思います。
新しい年を迎えて二月目となる今日、改めてわたしたちもヨブの信仰の姿を覚え、信仰の道を歩んでいくものとなりましょう。
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