「サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。『わたしは笑いませんでした。』 主は言われた。 『 いや、あなた は確かに笑った。 』」
創世記18章15節
鈴木 牧人 牧師
本日、聖書の箇所として選ばせていただいたのは、創世記 18:9-15 です。この箇所は、私の中で、印象深い聖書の箇所の一つです。と言いますのは、最初の印象として、 「 意味がさっぱりわからない。神様に対して、何で? 」 と思ってしまうような箇所だからです。聖書には度々そういう箇所があります。しかし、これは私個人の感覚なのですが、そういうふうに引っ掛かってしまう箇所ほど、繰り返し、読んでいく内に、実は、その箇所か ら大切なメッセージが聞こえてくる ことがあります 。私にとって、本日の箇所もそういう箇所の一つです。
本日の箇所には、アブラハムと三人の旅人の食事の様子が記されています。アブラハムの天幕の前をある時、 三人の旅人が通りかかりました。アブラハムはこの旅人を呼び止め、一緒に食卓を囲むことになったのですが、 この三人の旅人は、神の御使いでした。そのようにして、アブラハムと天の御使いが食事をしていた時、その食事の席で、アブラハムの妻サラのことが話題になったのです。神の御使いは「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう」 (18: と言いました。 しかし、この時、アブ ラハムは 99 歳、サラは89 歳でした。 サラはその言葉に思わず、「自分が子どもを産め るわけがない」と思い、ひそかに笑ってしまいました。すると、御使いはそのことを指摘し、「なぜサラは笑ったのか」と言ったのです。遠くにいたサラは、御使いからそんなふうに言われてしまってびっくりしてしまいました。慌てて、「わたしは笑いませんでした」と言います。しかし、御使いは「いや、あなたは確かに笑った」と言うのです。
この箇所を読んで、私はサラの気持ちがよく分かると言いますか、「そりゃ笑ってしまうよな」と思ってしまいます。加えて、サラが笑ったことを御使いが指摘したことに対して、「何で?」と思うのです。サラがこの時、笑ったことは、そんなにいけないことだったのでしょうか。何だかサラが気の毒に思えます。しかし、この御使いの姿にこそ、神様からの大切なメッセージが込められているのだと思うのです。