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主日礼拝宣教要旨

2022年10月2日(日)在宅主日礼拝宣教要旨「上にあるものを求める」コロサイの信徒への手紙3章1-4節

「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。」

コロサイの信徒への手紙3章1-4節

朴 思郁 協力牧師

 使徒パウロは「私たちは何者なのか」について、キリストとの関係で説明しています。「キリストと共によみがえらされた」こと、それこそ信仰者として、覚えて置かなければならない事柄なのです。ここの「キリストと共によみがえらされた」ということは、聖書ならではの表現で記されていますが、現代を生きている私たちにとってその意味は、復活の主イエスに促され、それに従うとき、私たちは、自分を脅していた弱さや欠乏から解放され、新たな生き方に変えられることです。それこそ、キリストと共に蘇らされる経験なのです。言い換えれば、私たちは、以前とは違うアイデンティティを与えられているのだから、それにふさわしい生き方を求められているということです。
 本日の聖書には、その生き方を「上にあるものを求める」と言います。それは、物事を天上と地上という二元論的に捉えて、物質的なものは否定し捨てなければならないという意味ではありません。物質の世界は、神ご自身が造られたものであり、その中に神の素晴らしい美しさと恵みが秘められています。使徒パウロは、「そこではキリストが神の右に座しておられる」と言います。要するに、キリストを中心に説明しているのです。それゆえ「上にあるものを求めなさい」とは、他ならぬ、今までの生き方とは違って、キリスト中心の生き方をしなければならないということです。
 今までの人生の目的は、何でしょうか。おそらく自分自身の幸せを追い求めることではないでしょうか。その幸せを手に入れるために、財物、権力、名誉など、いわゆる「この世の宝」を追い求めていると思います。そのような試みを決して悪いと言っているわけではありません。それは、むしろ安定した生活を備えるために必要なものです。しかし私たちが覚えて置かなければならないのは、それらのことは、あくまでも意味のある人生を生きるための「手段」であって、「目的」自体ではないということです。
 それでは何が豊かな人生になる目的なのでしょうか。聖書の言葉を借りると、「上にあるものを求める」、それこそが豊かな人生を生きる目的なのです。使徒パウロは、キリストを知ること、つまり、キリストの生き方に従って生きることのすばらしさを強調するために、そのほかのことを損失と見なし、さらに塵芥と見なしていると言います(フィリ3:7,8)。「上にあるものを求める」、それは、日々キリストの教えと生き方に従って生きることの喜びを何よりも楽しみにしつつ生きることにほかなりません。


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